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智・感・情 黒田清輝 (油彩)

小さかった頃恐らくは多くの人が一度ははまったであろう切手収集、私が黒田清輝の「湖畔」を初めて知ったのは、美術の教科書ではなく、「趣味週間」として発行されていた一枚によってである。小学生の少ない小遣いでの購入である。高額なものは買うことができない。それでも「湖畔」はそんなに高くはなかったようで、確か持っていたように思う。今見ると、湖と浴衣の青の色の微妙対比と背景の緑が、人物を左に配した構図と相まって良い絵だと思う。しかし小さかった私には絵の内容よりも、持っていなかった切手をコレクションに加えることが出来るという気持ちが勝っていたように思う。切手であれば何でもよかったのだ。

後になって実際に「湖畔」に接した時、思っていたよりも小さい絵だなと感じたくらいで、特に強い印象がなかったのは、これ以上に惹かれる素晴らしい絵を見てしまったためだ。「智・感・情」と題された三枚一組の絵は私の心を捉えて離さない。本で見て想像していたよりは、遥かに大きいキャンバスに描かれた三人の裸婦像。三者三様のポーズを取っている三枚の絵は、左から右へと見るべきか。それとも右から左へと見るべきか。あるいは左右対称とも見る事ができる構図であるので、まず真ん中の絵に視線を向け、そのまま左の目で左の絵を、右の目で右の絵を見るべきか。

金地を背景に立つ三人の女性は、その無表情な顔とは裏腹に実に雄弁に語りかけてくる。ここでは裸婦像が持つエロティックさは、完全に排除されている。それどころか同じ黒田の着衣の女性像と比べてみても、例えば「舞妓」の方が、髪の生え際や指の表情ひとつを取ってみても、私にはよほど官能的に思える。黒田は女性自身を描きたかったのではなく、三人の女性を通じてその向こう側にいる私たちに対してのメッセージを、キャンバスに記したかったのではないかと思う。

その言葉が何であったのか、私にはよく分からない。しかし黒田がたどり着いた地点の高さは、おぼろげにではあるが私にも見えてくる。そう考えると、この絵を最後として自然なスケッチ画へと向かった黒田の内面的な変化もまた、よく分かるような気がするのである。それは無理に明治という時代に結びつけて解釈するものではなく、一人の画家が背負ったものと考える方が、より真実に近いように私には思われる。
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No title

俗っぽい言い方で大変恐縮なのですが、
裸体をもって女性のエロスの探求が終わったのではないでしょうか?
裸体にたどり着く前の作品のほうが妖艶なのが、
ひとつの答えなのでは?

僕も、『湖畔』を知ったのは、切手でです。
趣味週間シリーズ、国宝シリーズ、国定公園シリーズ・・・
まったく興味がなかったのに、
切手を集めることで知ったことって、けっこうありますよね。

Re: No title

> つかりこ様、コメントありがとうございました。

たしかにおっしゃる通り、裸体を絵として描いた時点で全ては終わっているのかもしれません。本来ならばそこに至るエロスまでも同時に描かれているべきですが、中には裸体を描くこと、裸体を撮ることを最終目的にしているような作品も散見されるように思います。何をもってエロスなのかについては難しい問題であり私は解答を持っていませんが、非常に興味深い命題ではあります。

私が集めた切手の数は全く大したことはないのですが、息子は切手収集には全く関心がありません。今時の小学生は他のことで忙しいのでしょうが、集めた仮面ライダーカードとともにどうしようかと悩んでいます。

これからもよろしくお願いします。
プロフィール

魔笛

Author:魔笛
大好きなものを綴った日記です

映画:ハリウッド映画からピンク映画まで
本:ジャンルを問わず小説が中心
食べ物:フランス料理とイタリア料理が好物
旅行:なかなか行けませんが欧州とアジアが好き

大好きなものを語る場合、時として辛口になることもありますが、愛情の裏返しということでご容赦下さい。また文中敬称略であることもご勘弁願います

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