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ストロベリーナイト 佐藤祐市 (邦画 Blu-ray鑑賞)

雨、雨、雨、雨、雨。「ストロベリーナイト」は雨の映画である。冷たい雨が、霞む雨が、篠突く雨が、映画の全編に渡って降り続く。原作である「インビジブルレイン」の題名を踏まえながら、原作での描写を超える雨を降らすことによって、竹内結子演じる主人公の心象を表現しようとした佐藤祐市の演出意図は評価するが、インビジブルという言葉の表層的な意味しか理解していないためか、肝腎の雨の降らせ方がいささか一本調子で、残念ながら心の闇を映画的に象徴するまでには至っていない。

観ている側の想像力に委ねながら、その向こうにあるものを伝える雨を降らせることは相当に困難な仕事である。昔、紀伊國屋ホールでのこまつ座公演で、井上ひさしが戯曲を書き、木村光一が演出をした「雨」という芝居を観た事があるが、実際には雨を降らす訳にはいかないにもかかわらず、ちょっとした効果音、演じる役者の仕草や視線等で、舞台上に見事な雨を降らすことに成功していた。私が「ストロベリーナイト」で観たかったのは、こうした登場人物の心情を的確に正しい手段で表現した雨である。

総じてTVをその主たる仕事場としている監督は、雨の降らせ方が下手である。どうしても視覚的効果のみに訴えた直接的な雨を降らせてしまう。前回の早稲田松竹での上映に行くことができなかったため未見であるが、例えば今村昌平は「黒い雨」の中で、どのような雨を降らせたのであろう。「にっぽん昆虫記」や「赤い殺意」を始めとして何本も観ているにもかかわらず、私にはどうにも相性の悪い監督であり、カンヌでの評価は過大であると思っているが、それでも映画における雨の持つ意味と重要性について、今村はまだ知っている。何かで読んだのであるが、黒い雨については、一ヶ月間の試行錯誤を経てコーンスターチをお湯に溶かして黒い塗料で色付けしたものに行き着いたと言う。井伏鱒二の書いた雨が、今村によってどう表現されたのか私はまだ知らない。ただ今村が降らせたのは単なる黒い水ではなく、黒い雨であることは間違いない。単なる視覚的な効果ではなく今村が真に表したかったものを、映画を観る側にいる私たちは受け止めなくてはならないだろう。

からっと晴れた抜けるような青空で「ストロベリーナイト」は終わる。映画の内容に触れることは避けるが、降り続いた雨が完全に晴れ上がるほど、主人公の心の中の「インビジブルレイン」は晴れたのであろうか。空の青さは決意の色なのであろうか。単純な視覚的効果のみが優先された演出ではないと、ここでは信じてみたい。
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魔笛

Author:魔笛
大好きなものを綴った日記です

映画:ハリウッド映画からピンク映画まで
本:ジャンルを問わず小説が中心
食べ物:フランス料理とイタリア料理が好物
旅行:なかなか行けませんが欧州とアジアが好き

大好きなものを語る場合、時として辛口になることもありますが、愛情の裏返しということでご容赦下さい。また文中敬称略であることもご勘弁願います

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